対象作品:STAGE D『オムニバス公演《farewell》』
鑑賞日時:2024年3月17日(日)10:00
場所 :上越文化会館中ホール
上越市の劇団 STAGE D が同じ上越エリアで活動している他2団体をゲストに呼んで開催されたオムニバス公演を観てきました。
上越演劇集団ゴーストハートさんの「招かれざる隣人」。
ゴーストハートさんについては前記事の二瓶さんの記事の通り、人のサガや悲しさをひっくるめての愛のこもった面白さのある作品を魅せてくれるのだけども、若干ストーリーに無理が感じられるというかこじつけが感じられる時がある。
借金を抱えた若者の家に乗り込んできた人を借金取りだと早合点して家の中に入れ、やり取りしている間に互いに兄弟がいて疎遠になっていることを知る。何かと世話を焼く借金取り(ではない)に兄を重ねる若者。
あなたは兄でしょうと詰め寄る若者とそれを否定する来訪者。そののち高利貸しは逮捕され借金はチャラになり、乗り込んできたのが若者の下の階の住人(実は警察官)だったことがわかり一件落着…なのだが、若者が兄に電話をかけてフェードアウトするラストがしっくり来ない。
ずっと会っていなかった兄への電話じゃないなと。フラフラしている若者だからその軽いノリも当然なのかもしれないけれど、来訪者に「(生き別れの)兄ちゃん!」と呼びかけた時とラストシーンのそれが重ならない。
そもそも、観てる側は役者を通して登場人物を脳内想像しているので、「もしかしたら兄弟の再会?」と思ってしまうが、登場人物から見れば「弟に似てるけど弟じゃない」「兄ちゃんみたいだけど兄ちゃんじゃない」というのはともにわかっているはずなので(電話のノリからも)、オチから見るとこれまでの2人の会話にズレがあるというか、そのズレが役者と観客にあるような感が否めずだった。オリジナルのストーリーはいいものなのでもう少しその辺りを掘り下げてほしい。
わたなべかすみプロジェクト「朗読劇:駆け込み訴え」
太宰治の「駆け込み訴え」をわたなべかすみさんが一人で朗読。
自分はこの作品を知らなかったので、話が進む中でこれはあの「ユダ」の話だ…!とわかったのだけれど、裏切りに至るまでの自己正当化と正当化しきれない自分の心、相手に愛を乞いながら応えてもらえない故の憎しみ、ごちゃまぜの切ない感情がわたなべかすみさんの感情こもった朗読で伝わってきた。
感動の高まりの時どうしても声が高く早くなるので言葉が聞き取れない時があったのがちょっと惜しかったけれど…
STAGE D「簡略ヴェニスの商人」。
以前、上越市内でこの作品上演されたのだが、都合が合わず見に行けなかった。
「ヴェニスの商人」、タイトルは知っていたが読んだことはなかったのでこれも予備知識なく真っ白な状態。
長机に役者さんが座って台本読んでいくという進行に戸惑いながらも話に引き込まれていく。
話の中のユダヤ人とキリスト教、そこからの人種差別、根底に流れる「ユダヤ人だからそれは当然」の理不尽さ。
でも裁判の流れになんて屁理屈、かわいそうじゃねーのと思いながらも大逆転いいぞいいぞと思ってしまう自分もいて(困)。
こういう宗教間の対立が今の世にもずっと残っていて、それが争いを引き起こしていることが恐ろしい。
作品読んでないから当然だけど、簡略されたがために「なんでそーなる?」な部分もあり、自分の無知が残念。
オリジナルと原作持ちの作品の公演、ジャンルは違えども「愛しく哀しい人のサガ」が根底にあるような気がした。
でもタイトルの「Farewell」って何に対してなんだろう。役者さんの卒業などでないといいけど。
(記事公開:2024年4月14日)
投稿者【きりの】
見る専ですがどうやら「地元人の演劇」限定の見る専のようです